陳列

Open the grave.

卒業アルバム

私の卒業アルバムは犯罪者の過去として晒されるのがふさわしいと思う。

ミュージシャンとか作家とかスポーツ選手とかが、学生時代はこんなんでしたよ、と卒業アルバムや文集を日の下に晒しているのがすごすぎる。見せるという行為自体がまずすごいし、内容もいい感じに尖ってたり毅然としてたりで、その健常感に圧倒される。

私はいつかインタビューを受けるような身分になってみたいと自己栄光化を長いこと夢見ていたけど、冷静に考えてみれば、そういう身分になるということは、自然と子供の頃はどうだったのかとフォーカスされるということでもあり、そんなのは絶対に無理すぎる。

私には語るべき幼少期も学生期も無い。情けなくて恥ずかしくて、できるなら全ての証拠を消し去りたい記憶しかない。

小学校の卒業文集は、誰にも推薦されなかったのに、勝手に声の大きさと図々しさで、すごく下手な絵でクラスの紹介絵を描いた。クラスメイト一人一人の特技や人物像を一コマにまとめるというやつで、私は私のことを「漫画が得意」と描いた。クラスにはもっと漫画が上手くて、アニメキャラを描いてと人集りができている女の子がいた。誰が見ても、あの子の方が絵が上手かった。私も本当はそんなこと分かっていた。私はあの子のことを「漫画が得意」と紹介すべきだったのに、いつも皆に人気な彼女に対抗意識を燃やして、絶対に負けたくないと意地を張り、子沢山な家庭環境を揶揄して「弟や妹の面倒をよく見る」などと描いた。なんて意地が悪いんだろう。あの卒業文集には、私の歪んだ認知と稚拙な画力で、本来の姿とは程遠いクラス紹介が載せられた。クラスの誰もが、あんなものを見ても何も思い出せないだろう。思い出されるとしたら、この絵を描いた女子は図々しくて認知の歪んだ嫌な奴だったな、ということだけだ。

中学の卒業文集は、私は3年の秋という奇妙な時期に転校したので、転校前と後の二つの学校の物を持っている。2年半を過ごした転校前のやつがとにかく最悪で、何が最悪かというと、自分の文章がキモい。「私は薔薇色の日々をこの中学で過ごして、宝物のような思い出は思い出しても尽きることはない。残念ながら転校することになってしまって、悲しみのあまり涙がとまらないけど、このかけがえのない日々を忘れることは一生無いと神様に誓える」みたいな、とにかく中身の無い誇張表現だけが延々と書かれてあるの。こんなに輝かしくて面白い青春を過ごした人間は世界中探しても自分しかいない、くらいのテンションで。馬鹿じゃないのって感じだよ。実際どうだったかというと、クラスの男子ほぼ全員から嫌われて、いじめに限りなく近いからかいを受けてた。北海道出身で太っているから「アイヌの白豚」というあだ名まで付けられて。人権意識のかけらも無いよね。思春期にそういう扱いを異性から受けていた人間がどうなったかというと、まあ現実を歪めて解釈するわけだよ。本当はこいつら私のこと好きでからかってくるんでしょ、こんなに倫理的にギリギリのラインでいじられてる私もいじれてる男子たちも面白い、めっちゃクールって。こんな奴らに囲まれて、勉強も頑張りつつ、部活も真剣にやれちゃう私、青春してる、って。嘘で塗り固めて空っぽの言葉を書き連ねることで、「自分はいじめられていた」という現実から全力で目を逸らしている。勉強頑張ってたのは本当だし、女子だけの部活では仲良くやれていたんだから、書くならそういう事実を淡々と書けばよかったのにね。認知の歪みが影を落としていて、恐ろしいね。

高校の卒業アルバムは、自分のにはそんなに問題は無い。かわりに、友達のアルバムに目を背けたくなるような物が残されている。卒業式が国立の前期の発表と同じ日で、私は偏差値的に無理のある第一志望の大学に奇跡的に合格したのを式の直後に知って、完全にテンションがおかしくなっていた。それまで滑り止めも含めて全部落ちてたので、ドン底からの有頂天で、本当に浮かれていた。その結果、私は「絶対に書いてはいけないこと」を友達のアルバムの寄せ書きに書いてしまう。

その子は、すごくピアノが上手で、私と彼女は二年生の時も同じクラスで、合唱祭では課題曲と自由曲でそれぞれ伴奏を担当していた。私と彼女、どちらがピアノが上手かったのか、それは今となっては知る由もないけど、多分少しだけ彼女の方が上手かったんじゃないかと思う。三年生になると自由曲だけでよくて、うちのクラスは「愛する者のために」という大曲を選んだんだけど、問題は誰が伴奏を担当するかということだった。クラスの雰囲気的には私と彼女で五分五分だったんじゃないかと思う。でも、私はプライドから絶対にピアノを彼女に譲りたくなくて、指揮者になった同じ部活の気心の知れた男子生徒を早い段階で自分側に取り込んで、まだ皆が合唱祭のことなんて大して考えていない頃から、彼と二人で譜面をチェックしたり練習計画を立てたりして既成事実を積み重ねることで、実質的なツートップ体制を作り上げた。そうすると、ある日、彼女が「もう伴奏はゆうきちゃんでいいよ」と私の目を見て言った。休み時間だったけど、教卓の前で、クラスのほとんどが目撃してたと思う。私はその時何と答えたかは覚えていない。ただ、「あっ、いいんだ」と思った。もうこれで揉めたり争ったりしなくていいんだと安心した。今思い出しても、この時の彼女は本当に潔くて格好いいと思う。それに比べて、裏工作に手を染めた私の汚さ。それでも彼女は一度たりとも私のことを悪く言ったりつらく当たることはなかった。ソプラノのパートリーダーを務め、明るい笑顔で皆をまとめ上げていた。私はといえば、少しでも音がずれたら誰であろうとヒステリックに指摘し、不安定な精神状態で突然練習から逃げ出し、教室で泣きながらも誰か迎えに来てくれるはずだとチラッチラッしたりしていた。合唱祭は、優勝できなくて三位に終わったけど、クラス全体が完全燃焼して頑張って、すごく良い演奏ができた。卒業式の後の最期のホームルームで、担任の先生が金八先生のように一人一人にメッセージを送って、彼女のことを「こんなに心を打たれるピアノは聞いたことがない。あなたのピアノが私は大好きだった。誇りを持って生きてください」と褒め称えていた。自然と拍手が湧き上がり、彼女の目には涙がにじんでいた。この状況、分かる?誰が勝者で、誰が敗者か。ちなみに、先生は私にはこう言いました。「見た目とは違って熱いものを秘めていて、とても驚きました」、以上。結構ヘビーだよね。でも私、その時はそこまで落ち込まなかったんだよね。あっ、結局先生的には彼女に肩入れしてたんだな〜と認識したくらいで。大学に受かって躁状態だったから。落ちてればよかったんだよ。これは本題ではないけど、この先の私の人生的にもさ。 ホームルームが終わって、クラスでわちゃわちゃしながら、アルバムを回して寄せ書きを書いてくフェーズに突入した。私は、彼女のアルバムにこう書いた。 「ピアノ、とっちゃってごめんね」 正確にはもっと前置きとかもあったと思う。まあ、とにかく最後にこう書いたわけだ。彼女、これ見て腹わたが煮えくりかえっただろうか。いや、静かに怒りに燃えただろう。それよりむしろ、あまりのことに心底私に失望しただろう。こんな無神経なこと、よくもまあ書いたもんだよね。こういうことを書けてしまう人間がいるんだ。それが私なんだ。これを書く時どういう気持ちだったか思い出してみる。まず、卒業ムードで全体的にエモかった。更に、合格を知って、テンションが異常に高かった。そしてホームルームで担任が私ではなく彼女のピアノを褒めたことで、卑屈な気持ちと申し訳なさが同時に湧き上がっていた。それらがないまぜになって、「ピアノ、とっちゃってごめんね」になった。って、なるか馬鹿。汚い小細工を弄して勝ち取ったなら、そういう言葉は墓場まで持ってくんだよ。そんな覚悟も無いくせに、最後に言い逃げするなんて、最低だ。そんなことしたって、その場でほんの少し気持ちが楽になっただけで、17年経った今も、私はこんなに後悔してる。それも口にするならまだしも、文字にして形に残しやがって。死ね。死んでしまえ。でも、私は今はどうしても死ねないから、せめてもう二度と彼女の前に姿を現わさないようにするのが精一杯だ。 陽子ちゃん、本当にごめん。 私の一言であなたの卒業アルバムを汚して、本当にごめん。 私はもう卒業アルバムを開かない。多分一生開かない。 私の卒業アルバムが白日に晒される日が来るとしたら、その時は私が人を殺したり、何かとてつもない犯罪を犯して捕まって、マスコミかツーチャンネルに流される時だ。そんな日が来ないことを願い、過去を恥じ、そして過去に怯えながら、私は生きていく。つらい。