陳列

Open the grave.

卒業アルバム

私の卒業アルバムは犯罪者の過去として晒されるのがふさわしいと思う。

ミュージシャンとか作家とかスポーツ選手とかが、学生時代はこんなんでしたよ、と卒業アルバムや文集を日の下に晒しているのがすごすぎる。見せるという行為自体がまずすごいし、内容もいい感じに尖ってたり毅然としてたりで、その健常感に圧倒される。

私はいつかインタビューを受けるような身分になってみたいと自己栄光化を長いこと夢見ていたけど、冷静に考えてみれば、そういう身分になるということは、自然と子供の頃はどうだったのかとフォーカスされるということでもあり、そんなのは絶対に無理すぎる。

私には語るべき幼少期も学生期も無い。情けなくて恥ずかしくて、できるなら全ての証拠を消し去りたい記憶しかない。

小学校の卒業文集は、誰にも推薦されなかったのに、勝手に声の大きさと図々しさで、すごく下手な絵でクラスの紹介絵を描いた。クラスメイト一人一人の特技や人物像を一コマにまとめるというやつで、私は私のことを「漫画が得意」と描いた。クラスにはもっと漫画が上手くて、アニメキャラを描いてと人集りができている女の子がいた。誰が見ても、あの子の方が絵が上手かった。私も本当はそんなこと分かっていた。私はあの子のことを「漫画が得意」と紹介すべきだったのに、いつも皆に人気な彼女に対抗意識を燃やして、絶対に負けたくないと意地を張り、子沢山な家庭環境を揶揄して「弟や妹の面倒をよく見る」などと描いた。なんて意地が悪いんだろう。あの卒業文集には、私の歪んだ認知と稚拙な画力で、本来の姿とは程遠いクラス紹介が載せられた。クラスの誰もが、あんなものを見ても何も思い出せないだろう。思い出されるとしたら、この絵を描いた女子は図々しくて認知の歪んだ嫌な奴だったな、ということだけだ。

中学の卒業文集は、私は3年の秋という奇妙な時期に転校したので、転校前と後の二つの学校の物を持っている。2年半を過ごした転校前のやつがとにかく最悪で、何が最悪かというと、自分の文章がキモい。「私は薔薇色の日々をこの中学で過ごして、宝物のような思い出は思い出しても尽きることはない。残念ながら転校することになってしまって、悲しみのあまり涙がとまらないけど、このかけがえのない日々を忘れることは一生無いと神様に誓える」みたいな、とにかく中身の無い誇張表現だけが延々と書かれてあるの。こんなに輝かしくて面白い青春を過ごした人間は世界中探しても自分しかいない、くらいのテンションで。馬鹿じゃないのって感じだよ。実際どうだったかというと、クラスの男子ほぼ全員から嫌われて、いじめに限りなく近いからかいを受けてた。北海道出身で太っているから「アイヌの白豚」というあだ名まで付けられて。人権意識のかけらも無いよね。思春期にそういう扱いを異性から受けていた人間がどうなったかというと、まあ現実を歪めて解釈するわけだよ。本当はこいつら私のこと好きでからかってくるんでしょ、こんなに倫理的にギリギリのラインでいじられてる私もいじれてる男子たちも面白い、めっちゃクールって。こんな奴らに囲まれて、勉強も頑張りつつ、部活も真剣にやれちゃう私、青春してる、って。嘘で塗り固めて空っぽの言葉を書き連ねることで、「自分はいじめられていた」という現実から全力で目を逸らしている。勉強頑張ってたのは本当だし、女子だけの部活では仲良くやれていたんだから、書くならそういう事実を淡々と書けばよかったのにね。認知の歪みが影を落としていて、恐ろしいね。

高校の卒業アルバムは、自分のにはそんなに問題は無い。かわりに、友達のアルバムに目を背けたくなるような物が残されている。卒業式が国立の前期の発表と同じ日で、私は偏差値的に無理のある第一志望の大学に奇跡的に合格したのを式の直後に知って、完全にテンションがおかしくなっていた。それまで滑り止めも含めて全部落ちてたので、ドン底からの有頂天で、本当に浮かれていた。その結果、私は「絶対に書いてはいけないこと」を友達のアルバムの寄せ書きに書いてしまう。

その子は、すごくピアノが上手で、私と彼女は二年生の時も同じクラスで、合唱祭では課題曲と自由曲でそれぞれ伴奏を担当していた。私と彼女、どちらがピアノが上手かったのか、それは今となっては知る由もないけど、多分少しだけ彼女の方が上手かったんじゃないかと思う。三年生になると自由曲だけでよくて、うちのクラスは「愛する者のために」という大曲を選んだんだけど、問題は誰が伴奏を担当するかということだった。クラスの雰囲気的には私と彼女で五分五分だったんじゃないかと思う。でも、私はプライドから絶対にピアノを彼女に譲りたくなくて、指揮者になった同じ部活の気心の知れた男子生徒を早い段階で自分側に取り込んで、まだ皆が合唱祭のことなんて大して考えていない頃から、彼と二人で譜面をチェックしたり練習計画を立てたりして既成事実を積み重ねることで、実質的なツートップ体制を作り上げた。そうすると、ある日、彼女が「もう伴奏はゆうきちゃんでいいよ」と私の目を見て言った。休み時間だったけど、教卓の前で、クラスのほとんどが目撃してたと思う。私はその時何と答えたかは覚えていない。ただ、「あっ、いいんだ」と思った。もうこれで揉めたり争ったりしなくていいんだと安心した。今思い出しても、この時の彼女は本当に潔くて格好いいと思う。それに比べて、裏工作に手を染めた私の汚さ。それでも彼女は一度たりとも私のことを悪く言ったりつらく当たることはなかった。ソプラノのパートリーダーを務め、明るい笑顔で皆をまとめ上げていた。私はといえば、少しでも音がずれたら誰であろうとヒステリックに指摘し、不安定な精神状態で突然練習から逃げ出し、教室で泣きながらも誰か迎えに来てくれるはずだとチラッチラッしたりしていた。合唱祭は、優勝できなくて三位に終わったけど、クラス全体が完全燃焼して頑張って、すごく良い演奏ができた。卒業式の後の最期のホームルームで、担任の先生が金八先生のように一人一人にメッセージを送って、彼女のことを「こんなに心を打たれるピアノは聞いたことがない。あなたのピアノが私は大好きだった。誇りを持って生きてください」と褒め称えていた。自然と拍手が湧き上がり、彼女の目には涙がにじんでいた。この状況、分かる?誰が勝者で、誰が敗者か。ちなみに、先生は私にはこう言いました。「見た目とは違って熱いものを秘めていて、とても驚きました」、以上。結構ヘビーだよね。でも私、その時はそこまで落ち込まなかったんだよね。あっ、結局先生的には彼女に肩入れしてたんだな〜と認識したくらいで。大学に受かって躁状態だったから。落ちてればよかったんだよ。これは本題ではないけど、この先の私の人生的にもさ。 ホームルームが終わって、クラスでわちゃわちゃしながら、アルバムを回して寄せ書きを書いてくフェーズに突入した。私は、彼女のアルバムにこう書いた。 「ピアノ、とっちゃってごめんね」 正確にはもっと前置きとかもあったと思う。まあ、とにかく最後にこう書いたわけだ。彼女、これ見て腹わたが煮えくりかえっただろうか。いや、静かに怒りに燃えただろう。それよりむしろ、あまりのことに心底私に失望しただろう。こんな無神経なこと、よくもまあ書いたもんだよね。こういうことを書けてしまう人間がいるんだ。それが私なんだ。これを書く時どういう気持ちだったか思い出してみる。まず、卒業ムードで全体的にエモかった。更に、合格を知って、テンションが異常に高かった。そしてホームルームで担任が私ではなく彼女のピアノを褒めたことで、卑屈な気持ちと申し訳なさが同時に湧き上がっていた。それらがないまぜになって、「ピアノ、とっちゃってごめんね」になった。って、なるか馬鹿。汚い小細工を弄して勝ち取ったなら、そういう言葉は墓場まで持ってくんだよ。そんな覚悟も無いくせに、最後に言い逃げするなんて、最低だ。そんなことしたって、その場でほんの少し気持ちが楽になっただけで、17年経った今も、私はこんなに後悔してる。それも口にするならまだしも、文字にして形に残しやがって。死ね。死んでしまえ。でも、私は今はどうしても死ねないから、せめてもう二度と彼女の前に姿を現わさないようにするのが精一杯だ。 陽子ちゃん、本当にごめん。 私の一言であなたの卒業アルバムを汚して、本当にごめん。 私はもう卒業アルバムを開かない。多分一生開かない。 私の卒業アルバムが白日に晒される日が来るとしたら、その時は私が人を殺したり、何かとてつもない犯罪を犯して捕まって、マスコミかツーチャンネルに流される時だ。そんな日が来ないことを願い、過去を恥じ、そして過去に怯えながら、私は生きていく。つらい。

衝撃を受けた曲

dragon ashの“let yourself go, let myself go”

m-floの“come again”

この二曲はほんとやばかったね

こんなかっこいい曲あるんだ?と厨房の心を撃ち抜いたもん

m-floが3人で活動再開と聞いてあの頃の衝撃を思い出した

そういえば中学生の頃ってめっちゃラジオ聞いてたな

今自分の中で第二次ラジオブームが来てる

娘に悪影響を与えないようにとテレビを控えたら、世の中と断絶されてる感がすごくて発狂しそうになって、radikoをインストールしたんだけど、こりゃいいね

毎日聞いてるよ

ニッポン放送ばかりだけど

この間なんかハッピーテレフォンにメール送っちゃった

普通に外れたけどね

産後一年が過ぎた

私はもともと反出生主義者で、子供を産まずに人生を終えるものだと思ってたけど、音楽活動へのモチベーションの消失、長年勤めていた職場とのゴタゴタ、患っていたチョコレート嚢腫が治ってピルを飲むのをやめたことなど、色々なことが重なって娘を授かった。どれか一つでも欠けていて、たとえばあと一年早かったりしたら、私は産むのを躊躇っていただろう。でも、33歳という年齢のこともあり、これを逃したら次は無いという気がして、産むことにした。

産後一年が経ち、娘が一歳になって思うことは、あの時授かることができてよかった、この子に会えてよかった、生まれてきてくれてありがとうに尽きる。ベタすぎるが。

若い頃やれ反出生主義だ独我論だとイキりちらしていたアーティストが、子供を産んだ途端、子供はいいぞなどと急に手のひらを返すように凡庸なことを言い出すのを見て、私は舌打ちし心の底から彼らを軽蔑したものだけど、やあ、私もそうなってしまったね。くだらないと笑ってください。

でも私は自分が子供を産んでよかったからと言って、人に勧めたりはしません。

矛盾してるのは百も承知だけど、私は今も反出生主義者だと思っている。有から無よりも、無から有の方がとりかえしがつかないから。だけど、昔と違うのは、絶対に何が何でも出生は悪と言い切る必要はないんじゃないかと思えるようになった。

トートロジーっぽくなるけれど、私は娘を産んだことで初めて「生まれてきてよかった」と思った。33年の人生で「生きててよかった」は何度かあったが、「生まれてきてよかった」は一度たりともなかった。どんなに嬉しいことがあろうが幸せを感じようが、先に立つ感情というか前提は常に「生まれてさえこなければ」だった。こんな反出生主義の私が、娘を産んだことによって「生まれてきてよかった」を知ることができた。主義と真逆のことを成し得てしまえることが人生の偉大さであるとはシオランの言葉だったかな。

かっこつけたことを言うのはここまでにして、私は自分が子供を産んでよかったからといって人には勧めない。

私がよかったのはあらゆる意味でたまたまだったと思うから。一番は、私の人生があの時ちょうど転機にさしかかっていたからであり、身もふたもない言い方をすれば私は“詰んでた”のだ。つまり、あれ以上あのまま突き進んで生き続けても良くはならないということが確定していた。だから、妊娠した時にこれまでの人生とは全く違う方向に舵を切る気になれたし、殆ど躊躇いもなかった。二番目は、私の妊娠出産が順調で、娘に何の病気や障害もなかったから。妊娠中から長期入院を強いられたり、流産や死産になってしまったり、生まれてきた赤ちゃんが重い病気になってそのままNICUに入院したり、先天性の障害を持っていたり。こういうことは誰の身にも起こり得ることで、今回私に起こらなかったのは本当にたまたまでしかなく、もし一つでもこういうことが私の身に降りかかっていたら、私は果たして「授かることができてよかった」と気楽に言えるだろうか。分からない。要するに、私は幸運にも色んなことがうまく噛み合ったから呑気に「子供を産んでよかった」などと言っているだけな気がしてしまうのだ。産んでもなお、これってリスクがとてつもなく大きい博打だよな、と思ってしまう自分がいる。だから、人には勧めない。

だけど、そんな私が私なりに、産んでよかったこと、悪かったことをまとめてみたら、もしかしたらこの産む・産まない問題で悩んでいる誰かの手助けになるかもしれないと思ったので、書いてみます。

子供を産んでよかったこと

1.子供が可愛い

まあ、当たり前ですよね。子供産んだ人ってみんなこう言う。くだらなすぎる。くだらなくていいです。だけど、本当に自分の子供って可愛い。大変だけど可愛い、ってみんな言うじゃん。私は前はあれ聞くたび「結局大変なんじゃん」って絶望してたけど、産んだ今思うことは、みんな大変なことを強調しすぎ。もっと後ろの可愛いを強調しろ。そっちが真実。

2.自意識に余計なリソースを割かなくなった

「私とは何か」「私は世界にとってどんな存在か」「私はどれだけ価値のある人間か」「私は他人からどのように見られているか」…こういうことを始終考えていて私私私でがんじがらめになっていた今までの私、子供産んだら憑き物が落ちたかのように自分がどうでもよくなった。や、よくはないけど、程度的にものすごくマシになった。自分のことばかり考えなくていいって、こんなに楽なのねと。今私人生で一番自意識が身軽。

子供を産んで悪かったこと

1.夫との仲が悪くなった

うちは夫婦仲めちゃめちゃ良かったし、結婚してから長かったから、産後クライシスなんか他人事って思ってたけど、見事に陥ってしまった。本当に嫌なタイプの喧嘩をするし、二人とも体力・精神力が子供持つ前と比べて明らかに余裕無いのですぐに激化してしまう。産前の激化までの時間が10だとしたら、今は1。とにかくこの産後クライシスが深刻すぎて、私はこれ以上夫と仲が悪くなりたくないので、正直子供は一人でいいと思っている。だから、子供は結婚の副産物で、とにかく配偶者のことを第一に考えたくて、夫婦が幸せであることが至上、と信じてやまない人は子供は持たない方がいいと思う。そういう幸せも絶対にある。(どんだけ深刻なんだよ)

2.日常的なストレス解消方法が基本的に食しか無い(完全母乳で育てても体重が戻らないし当分このまま)

子供産むと子供が生活の中心になるので、自分のタイミングで寝たり起きたりするのも無理(睡眠がストレス解消たりえない)だし、出掛ける場所も大きく制限されるから気軽な気分転換もできない。唯一自由になるのが食。食べることがストレス解消だし気分転換だしガス抜き。だから全然痩せず、体重は妊娠前+5キロのまま。母親も同じタイプだったので、よっぽど特殊な努力でもしないかぎり向こう10年はこのままだと思う。でも、よかったこと2に書いた通り、人からどう見られるかを気にしなくなっているので自意識的な後ろめたさや恥ずかしさはあまり無い。あとは夫がそんな妻をどう思うかということのみ…。

思いついたらまた書きます

蕎麦

もうすぐ娘の1歳の誕生日だから洋服を見に行こう、シャーリーテンプルとセンスオブワンダーが見たい、ということで半日かけて相模大野まで出掛けて、帰ってきたら7時。

娘はお昼ご飯は夢庵で一口おにぎりとアンパンマンのパンしか食べなかったから(その後授乳もしたけど)、さぞかしお腹がすいてるだろうと思ってバタバタしながら夜ご飯を用意する。サンドイッチとミニトマトと鶏肉と豆腐のハンバーグとベビーダノン。ハイチェアに座らせるなり前のめりになって鷲掴んでムシャムシャ食べる。

私と夫はお蕎麦。帰りのスーパーで生麺の蕎麦とパウチの鴨出汁スープを買ってきてたんだけど、これがよくなかった。

詳細は知らないけど、夫はどうやら蕎麦をスープと一緒に一度に茹でたと思われる。蕎麦のぬめりが汁に溶け出してドロドロしてて美味しくない。生麺だったからか、茹で時間が長かったのか分からないけど、麺もくっついて塊みたいになってて、奥歯で噛むとキシキシする。

私は一口食べた瞬間に、これはマズイと思ったんだけど、夫とは以前も作る料理の味がケンカの発端になったことがあったからなかなか言い出せず、無言でボソボソ食べてるうちにドンドン顔が険しくなり、夫も私の様子が変なことに気付き、あっという間に食卓の雰囲気は最悪に。

夫「…作り直すよ」

私「いい、食べれるから」←この返しが不味いと同義

夫「味濃いね、薄めようか」

私「いや、それだけの問題じゃなくて、麺が…」

一応お湯で割ってみたけど不味いことには変わらず。

夫「やっぱり作り直すよ」

私「いいって言ってんじゃん」

夫「だって機嫌悪いじゃん、もういい、作り直す」

丼をさげて中身を三角コーナーにぶち込む夫。食べ物を大切にする夫がこれをする時は本当に怒っている。

娘「…へっ、へっ、へーん」

ずっと私たちのやり取りをきょとんと眺めていた娘が泣き出す。かわいそう。ニコニコしながらお行儀よくパクパク食べていたのに。私たち夫婦は普段、「楽しいごはんがいいごはん」(リラックマですね)がうちの家訓、などとドヤ顔で言ってるくせに、この場でそれを守れていたのは娘だけ。大人二人は不機嫌を充満させて睨み合って、乱暴な動作で娘を怯えさせていた。

でも、だからってどうすればよかったんだろう。

娘が生まれるまでは、夫の作る料理はそれはもう私とは比べものにならないほどうまかった。凝ったものを作るし、手際も良い。 異変をきたし始めたのは娘が生まれて少し経ってから。3〜4回に一回くらい、首を傾げてしまうほど味の濃いものを作るようになった。 でも一緒に住んで15年近く、私たちの間では料理がうまいのは夫、という絶対的な地位が確立されてしまっていて、違和感を抱く私の方がおかしいのかなとなかなか言い出せずにいたのだけど、私の誕生日に作った豚の角煮がすごくしょっぱくて、私がキレてしまい、それ以来なんとなく料理の味というトピックは緊張感をもって扱うものになってしまっていた。その矢先に、蕎麦。 多分、夫はものすごく疲れているんだと思う。娘が生まれてから基本的にずっと朝は5時起きで、夜は7時まで仕事をして家には8時過ぎに帰ってきて、そのまま娘の世話(食事や片付け、風呂や歯磨き、着替えなど)を手伝ってくれて、娘の寝かしつけやなんやかやが終わったらもう10時。ノンストップでこれだけこなして、その後息抜きにPCいじったりコーヒー飲んだりして寝るのは12時過ぎ。平日5時間も寝てないんだ。何でそんなに早く起きるのかというと、早く帰るためらしい。確かに、10時過ぎに帰ってきても娘寝てるから、娘と触れ合いたければ早く出勤して早く帰るしかない。 私はいくら夜泣き対応がつらい、夜間授乳がしんどい、とか言ってても、なんだかんだで起きるのは8時だしな。ひどいと9時まで寝てる時あるし。細切れ睡眠とはいえ、これで私の方が大変と言うのはちょっと無理がある。 疲労やストレスがたまると味覚もおかしくなるのかもしれない。真っ先にピンときたのはそれだった。検索したら、そういうのは決して珍しくないみたいだ。 この一年、自分の人生で間違いなく一番しんどかったけど、夫はもっとハードだったんだろう。 ここ最近夫の顔が暗い。私に対する受け答えもどことなく壁を感じる。間違いなく、夫の私への愛情は目減りしている。最近ももクロのことで喧嘩したばかりで、今までは絶対に夫の口からは出てこなかった「離婚」の文字が何度も繰り返されていた。あの時も結局仲直りはしたけれど、こういうことを積み重ねていくうちに溝は深まっていくんだよね。もう、感情の交換も状況の共有も何もかもが全て二人だけの間で完結していた頃には絶対に戻れないんだなあと思うと、軽く絶望。

満身創痍ではあるが

朝から晩まで片時も娘と離れることなくご飯やって着替えさせて食器洗って掃除洗濯してまたご飯やってを繰り返してるとマジで一日が終わる。

唯一、一息つけるのが授乳中で、クッションに娘を乗せておっぱいあげながら落ち着いてスマホできるけど、それも30分かそこらのことだから、ツイッター見たりFGOやるのがせいぜい。あー今ほんと生産性ゼロだなと落ち込みながら、夜娘が寝たら絶対に本読んだり英語勉強したりするぞ、意味のあることをするぞ、と思うんだけど、実際こうして夜になってみると、もう体力が残ってない。娘が寝たと同時に自分もそのまま横になって寝てしまいたいけど、発破をかけて立ち上がって上に行ってお茶飲みながら夫と今日あったことや娘の様子などを話す。この時間を無くしたら私たち夫婦は本当に会話がゼロになってしまう。ついでに夫に湿布を貼ってもらう。肩と腰。大容量のパテックスが二週間で無くなる。で、風呂入ったり歯磨きしたりしたらもう0時。娘は最近夜泣きが激しいので、それに備えていよいよ寝ないとやばい。だから私はもう寝ないといけないんだ。

下書きが溜まってるけど続きがなかなか書けない。書きたいことはたくさんあるけど、記憶を丁寧に整理して慎重に言葉にしていく作業は思いのほか時間がかかる。

ツイッターにブログ投稿を連携させていると、人からどう見られるかということを嫌でも意識して格好つけたり見栄を張ってしまいそうなので、今回からはいちいち投稿を報告するのをやめる。ここに書くのは正真正銘自分のためだから、嘘や飾り立ては無しで行きたい。2004年くらいから色んなブログを渡り歩いて断続的に書いてはきたが、これは初めての試み。100%絶対に誤魔化さない。

REALであること

考えてみれば、今までの人生で心から好きだったモノなんてほとんど無い気がする。

そして、そのことに気付いたのはごくごく最近で、33年間心から好きなのかどうかも分からないものを好きだと思い込んで生きてきたと思うと寒気がするね。自分に。とんだフェイク野郎だよ。

私の夫はももクロのオタクで、私はそれが本当に嫌で嫌でたまらないのだけど、でも彼を見てると嘘偽りなく100パーセントの純度で心の底からももクロを好きなのが分かる。私は本当は羨ましいだけなのかもしれない。ちゃんと好きなものがある彼が。夫のももクロを好きな気持ちは完璧にREALだから、一緒にいると自分がどれだけFAKEなのかを思い知らされてしまう。モノノフである夫に嫌悪感を抱くのは、空虚な自分を直視することに耐えられないだけなのかもしれない。私は臆病者だけど、一番怖いのは自分自身なんだと思う。自分は本当は何者なのか、どんな闇を孕み、どれほどの無を抱えて生きているのか。それを確かめるのが怖い。みんな怖くないの?こういう過程は10代か20代で済ませておくはずのものなの?私は目を逸らし続けた結果、34歳になってしまった。

これから先の人生はせめて何かを好きなフリをするのをやめたい。誰かにアピールしたくて何かを好きなように振る舞うのをやめたい。“何かを好きな自分が好き”な自分をやめたい。役に立ちそうだからとか、誰かに取り入るために何かを好きになろうとするのをやめたい。

私はただ本当に好きであることだけで満足したい。それを好きなだけで幸せでありたい。でもそれってどういうことなの?私はそれを知りたい。私はそれが欲しい。それさえ手に入れば、あとは何も要らないよ。嘘です。金は欲しい。健康でありたい。災害や事故に巻き込まれたくない。あまりにも欲張りすぎる。

追記 タイトルの「REALであること」というのは、KELUNの曲の歌詞に出てきた気がするんだけど、曲名が思い出せない。ボーカルの「REALであること」という箇所の歌い方が本当に物凄くて、凄まじくて、魂で歌うとはこういうことだな、とまだ音楽をやっていた頃の私は思ったものだった。思い出したら書きます。 追記2 KELUNじゃなくてP2H(PICK2HAND)の“one blank wall”という曲でした。 リンクでも張ろうかと思ったけど、マイナーすぎてYouTubeにも上がってなかった。 ボーカルの児嶋亮介は正真正銘REALなアーティストだよ。

育児垢がしんどい、投影・外化の話

ツイッター、元々の本垢でフォローしてたのが所謂非健常界隈という人たちだったんだけど、出産してから育児のこと呟くのがあまりにも場にそぐわなくて気がひけるようになったので、育児垢というものを作ってみた。そこそこ続いてて、もう半年くらい経つと思う。

身もふたもないことを言うと、居心地がすこぶる悪い。どれくらい悪いかと言うと、ママ友サークルくらい悪い。(個人的にこの二つの居心地の悪さは種類の違う悪さなんだけど、まあ程度的に同じということで)

育児垢にいると、タイムラインに流れてくるのは離乳食とか夜泣きとか育児の話ばかりで、それらは自分にとってホットトピックだから本来ならノンストレスなはずなのに、実際はものっすごいストレス。

なぜストレスかと言うと、とにかく多いのが旦那に対する愚痴。次が義家族(特に姑)に対する愚痴。そしてその次が育児に理解のない世の中に対する愚痴。もう、あいつら愚痴ばっかり。

でも愚痴なら非健常界隈でも次々と流れてくる。非健常界隈の愚痴が気にならなくて、育児垢の愚痴がイラつく理由は何かとずっと考えていたんだけど、これは要するに「投影」とか「外化」とかいうやつなんだね。心理学的に言うと。

人間は、自分の心の中にある感情を認めたくないと、それを外の人間に投影してチクチクと苛立ってしまうらしい。自分の中で起きていることを外で起きていると勘違いする。

私の中にある抑圧された甘えの感情が、育児ママの愚痴に投影されて、私の心を毛羽立たせている。

たぶん、私は本来甘えが人一倍強い人間なんだと思う。あれしてほしい、これしてほしい、というのが無限に出てくる人間。でも、私は三人きょうだいの長女で、下二人と比べて甘えが一切許されなかった。5歳くらいから、既に母親からえげつない暴力(これも今思えば無計画に二歳差で子供を三人も作ってしまった筋金入りの発達障害の母親が唯一取り得た子供達をコントロールする方法だったのだと思う)で躾けられていたから、もう甘えとかすっ飛ばして、いかに生き抜くか(文字通りの意味だ、私は母親に何度殺されると思ったかしれない)いうフェーズに移行してたと思う。

私が弟や妹に対して一番覚えている強い感覚は、唇をギリギリと噛んだ時の鈍い痛みだ。弟や妹が、母や父に対して甘ったれたことを言うと、私はたまらなく嫌な気持ちになった。そんなことを言って、これ以上場の空気を乱すな。母親の機嫌を損ねるな。私にはそんなことを言う選択肢は残されていない。私がこんなにもこの場を穏やかにやり過ごそうと努力しているのに、どうしてお前らはそんなくだらない駄々をこねるのだ。弟や妹が屈託無く口にする甘えは、私には決して許されないものだった。ものすごくものすごく遠慮して、彼らの十分の一の甘えでも口にしたとしても、返ってくる言葉は無慈悲なものばかり。「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」「お姉ちゃんなんだからそんなこと言わないで」「あんたとS穂(妹のことです)は違うんだから」

幼い頃の体験と記憶って強烈で、自分がどれだけ気にしてない、乗り越えたと思っていても、ものすごく奥深くまで根を張っているものなんだよね。

実はこのメカニズムに気付いたのはごく最近のことで、私は育児垢以前から、例えばオタク的な話にしても、どうして私はこんなにも同族嫌悪の感情がものすごく強いんだろうとイライラしながら、同担のオタク女をガンガンにブロックしていた。今思えばこれも投影、外化だね。自分の認めたくない抑圧した面が投影されて外に見える形で現れている。

もっと遡れば、なぜ自分がなるべく男とつるみたがるのか、彼らの仲間であるように振る舞いたがるのかも分かってきた。同じ女よりも、男の方が投影が起こりにくいからね。

だから、自分と殆ど同じような境遇の人ばかりフォローしている育児垢なんか、一番投影が起こりやすいに決まっている。そりゃあイライラしてしんどいよね。でも、この仕組みに気付いて幾分楽になったよ。TLを読んでるうちにイライラするようになったら、ああ今私投影してる、って自覚するだけで随分違うもん。なぜ今私がこれにイラつくか、それはこの要素を私が持っているからだ。このステップを踏むだけでだいぶ楽になる。私は見ないフリしてるだけで、もっと甘えたいんだなって気付ける。人の甘えにワケもなくイラつくよりも、自分の甘えの存在を認めた方がずっと健全だと思う。 こんな風に、悪いことばかりじゃないと信じているから、今はまだ育児垢やめません。