陳列

Open the grave.

麻原彰晃の死刑執行

麻原彰晃の死刑執行にショックを受けている。

平成の穢れは平成のうちに祓っておけ、っていうのはおかしいと思うけどね。

だって誰も本当のところ「あの一連の事件が何だったのか」なんて分かってないでしょ。

あれらが巨悪人の指示によってトップダウンで緻密に実行されたテロリズムだなんて、そんなシンプルなものではないのは当たり前として。

麻原だけが知りえたことっていうのがいくつもあったはずなのに、廃人同然のまま死刑にしてさ。

これで本当に闇に葬られたね。

私は基本的には愛国主義者だけれども、今回ばかりは言いたいね、チガウダロー!!と。

結局被害者本人、遺族、信者、元信者みたいなリアルに濃い関係性を持つ人たちにだけ痛みを残して、外野はbot大喜利のような形でオウムネタを下品に消費して終わるわけだ。

肝心なことは何一つ分からないまま。

小学生だった私がヒステリックなワイドショーを尻目に尊師マーチを鍵盤ハーモニカで吹いてみたら、先生にハチャメチャに怒られて訳が分からないまま止めた、あの時と本質的には何も変わっていないんじゃないの。

これを絶望と呼ばずして何と言うのだろうね。

なぜブログを書かないのか

ブログのことはいつも頭の隅にあって、何でもいいからとにかく書かなきゃと思ってはいたのだけど、書けないまま3ヶ月近く過ぎてしまった。

なぜ書けなかったかというと、ブログを書くと脳が覚醒してしまうので。ブログは日中は1歳児の相手をしてると一切書く時間が無く、夜は娘の寝かしつけや残りの家事を終えてからじゃないと書けない。そして、書くからには自分のREALな感情を書こうと思ってるから、シコシコと書き綴っているうちにドンドン記憶や感情がブラッシュアップされてしまい、爛々とした目で書き終えた頃にはAM1時とかになってる。フゥ〜と息を吐いてスマホを置いて寝ようとしても寝れないし、更にここに1時間とか2時間おきの娘の夜泣きが加わるので、なんとなく寝るタイミングを逃しているうちにAM3時半とかになってたりして、まあ体力が持たないよね。1歳児の相手は全力でしても足りないくらいなので、前日の寝不足は容赦なく響く。というわけで、最近は全然書けなかった。

なんというか、もっとカジュアルに、だらだらと書けたらいいんだけども。ここに来てなお、一応公開してるからには、ある程度整った文章を、と見栄を張ってしまう自分がいて嫌になる。鍵をかけようかとも思うが、それだと多分ますます書かなくなるんだろうな。

ブログというより、日記+αくらいの感覚でいたら書けるだろうか。変に構えるからダメだというのは分かるから、もっと肩の力を抜きたい。

ということで、試しに日記みたいに書いてみる。

マジでやばいというのは分かっているが、私も娘も最近は起床が9時。生活リズム乱れまくり。まだまだ夜泣きがあり、その度に授乳しているので、細切れ睡眠をいくら重ねても寝た気がしなくてこんな時間に起きてしまう。許されるのなら昼まで寝ていたいくらい、慢性的に疲れている。産後っていつまで言い訳にしていいのか、もうそろそろ多分ダメなんだろうけど、とにかく疲れが取れない。4時間以上連続睡眠を取りたい、というのが今の私の一番の望み。ってこれ、一年前と変わってないじゃん…(むしろ一年前の方がまだ夜泣きも少なかったから、まとまって眠れていたかも)

ラジオが心の支え。テレビつけてるとすぐに「しまじろうのDVDを見せろ」と娘に要求されるので、ラジオばかり聞いている。夜の疲労がMAXの時間帯(離乳食を食べたくないとキレられて精神的にも限界)に野球のナイター中継があるのが本当に救い。昔からそうなんだけど、野球の音ってどうしてこんなに精神安定作用があるのか不思議。相撲やサッカーやフィギュアスケートじゃダメなんだよね。

今日は午後に、近所の保育園に併設されているお出かけ広場に娘を連れて行った。雨だから混んでるだろうな、と思って、窓の外から覗き込んだら、やっぱり混んでて落ち込む。混んでる児童館や支援センターは本当に苦手。だけど、ここで引き返したら娘が遊べなくてかわいそうなので、意を決してなるべく笑顔で明るく大きな声で「こんにちはー♪」と挨拶して入る。そしたら、連れ立って来ている3歳児のママたち(入館表で確認した)が、ジロリという目付きで怪訝そうに見てくるので早速嫌な気持ちになる。二人くらい、棒読みで「こんにちはー」と返してくれたけど、あとは無視。それから、娘を滑り台やら型落としやらで遊ばせていたけど、群れてるママ友たちは、プレ幼稚園や家のローンの話で盛り上がってるというか、私たちは今ここで輪を作って話しているので、というオーラをガンガンに出してきて、私はずっとポツンとしてて本気で泣きそうになる。なんなんだろうね、ああいうの。多分そんなに悪気は無いんだと思うけど、ぶち当たると本当にしんどい。ここらへんはこの手の群れてるママ友軍団が多すぎる。少し足を伸ばして遠くの支援センターとかに行くと、全然オープンで過ごしやすいんだけど。とにかく排他的。一人もママ友ができない。(正確には、若葉ママの会という産後すぐの集まりで地域ごとにグループ全体で顔見知りになったゆるいママ友は何人かいるけど、偶発的に出会って仲良くなったママ友はマジで一人もいない。というか、そのグループで付き合ってるママ友の中にも心を許せるような親しいママ友は一人もおらず、なんなら私だけ浮いてる。)

こういうことがあるたび、なんで私は親しく人と交われないのか、ということについて考えてしまう。そして考えてるうちに記憶は学生時代にまで遡り、黒歴史を次々と発掘してきて、フラッシュバックが止まらず、まな板にア゛ーーー!!と叫びながら頭を打ち付けてしまいたい衝動に駆られる。けど、実際はもちろんそんなことはせず、娘に呼ばれたりしてどうにか現実に引き戻されて、ご飯を作り、食べさせて、などとしてるうちに一日が終わる。娘を産んでから、自分の目を背けたい過去や性質に焦点を過剰に合わせてしまって鬱々とすることが増えた。シャワー浴びてる時に嫌なこと思い出して死にたくなる、っていうのあるでしょ?あれが一日中断続的に起こる感じ。しんどい。娘は大変ながらもどんどん成長して、できることが増えてきて、ますます可愛くなってきているんだから、そういう良いことだけを見て、今日も一日無事に元気に過ごせてよかったなあ、食べるものがあって寝るところがあって幸せだなあ、ってパタリと眠りにつきたい。どうしてそういう風に生きられないんだろう。

なぜブログを書かないのか

ブログのことはいつも頭の隅にあって、何でもいいからとにかく書かなきゃと思ってはいたのだけど、書けないまま3ヶ月近く過ぎてしまった。

なぜ書けなかったかというと、ブログを書くと脳が覚醒してしまうので。ブログは日中は1歳児の相手をしてると一切書く時間が無く、夜は娘の寝かしつけや残りの家事を終えてからじゃないと書けない。そして、書くからには自分のREALな感情を書こうと思ってるから、シコシコと書き綴っているうちにドンドン記憶や感情がブラッシュアップされてしまい、爛々とした目で書き終えた頃にはAM1時とかになってる。フゥ〜と息を吐いてスマホを置いて寝ようとしても寝れないし、更にここに1時間とか2時間おきの娘の夜泣きが加わるので、なんとなく寝るタイミングを逃しているうちにAM3時半とかになってたりして、まあ体力が持たないよね。1歳児の相手は全力でしても足りないくらいなので、前日の寝不足は容赦なく響く。というわけで、最近は全然書けなかった。

なんというか、もっとカジュアルに、だらだらと書けたらいいんだけども。ここに来てなお、一応公開してるからには、ある程度整った文章を、と見栄を張ってしまう自分がいて嫌になる。鍵をかけようかとも思うが、それだと多分ますます書かなくなるんだろうな。

ブログというより、日記+αくらいの感覚でいたら書けるだろうか。変に構えるからダメだというのは分かるから、もっと肩の力を抜きたい。

ということで、試しに日記みたいに書いてみる。

マジでやばいというのは分かっているが、私も娘も最近は起床が9時。生活リズム乱れまくり。まだまだ夜泣きがあり、その度に授乳しているので、細切れ睡眠をいくら重ねても寝た気がしなくてこんな時間に起きてしまう。許されるのなら昼まで寝ていたいくらい、慢性的に疲れている。産後っていつまで言い訳にしていいのか、もうそろそろ多分ダメなんだろうけど、とにかく疲れが取れない。4時間以上連続睡眠を取りたい、というのが今の私の一番の望み。ってこれ、一年前と変わってないじゃん…(むしろ一年前の方がまだ夜泣きも少なかったから、まとまって眠れていたかも)

ラジオが心の支え。テレビつけてるとすぐに「しまじろうのDVDを見せろ」と娘に要求されるので、ラジオばかり聞いている。夜の疲労がMAXの時間帯(離乳食を食べたくないとキレられて精神的にも限界)に野球のナイター中継があるのが本当に救い。昔からそうなんだけど、野球の音ってどうしてこんなに精神安定作用があるのか不思議。相撲やサッカーやフィギュアスケートじゃダメなんだよね。

今日は午後に、近所の保育園に併設されているお出かけ広場に娘を連れて行った。雨だから混んでるだろうな、と思って、窓の外から覗き込んだら、やっぱり混んでて落ち込む。混んでる児童館や支援センターは本当に苦手。だけど、ここで引き返したら娘が遊べなくてかわいそうなので、意を決してなるべく笑顔で明るく大きな声で「こんにちはー♪」と挨拶して入る。そしたら、連れ立って来ている3歳児のママたち(入館表で確認した)が、ジロリという目付きで怪訝そうに見てくるので早速嫌な気持ちになる。二人くらい、棒読みで「こんにちはー」と返してくれたけど、あとは無視。それから、娘を滑り台やら型落としやらで遊ばせていたけど、群れてるママ友たちは、プレ幼稚園や家のローンの話で盛り上がってるというか、私たちは今ここで輪を作って話しているので、というオーラをガンガンに出してきて、私はずっとポツンとしてて本気で泣きそうになる。なんなんだろうね、ああいうの。多分そんなに悪気は無いんだと思うけど、ぶち当たると本当にしんどい。ここらへんはこの手の群れてるママ友軍団が多すぎる。少し足を伸ばして遠くの支援センターとかに行くと、全然オープンで過ごしやすいんだけど。とにかく排他的。一人もママ友ができない。(正確には、若葉ママの会という産後すぐの集まりで地域ごとにグループ全体で顔見知りになったゆるいママ友は何人かいるけど、偶発的に出会って仲良くなったママ友はマジで一人もいない。というか、そのグループで付き合ってるママ友の中にも心を許せるような親しいママ友は一人もおらず、なんなら私だけ浮いてる。)

こういうことがあるたび、なんで私は親しく人と交わらないのか、ということについて考えてしまう。そして考えてるうちに記憶は学生時代にまで遡り、黒歴史を次々と発掘してきて、フラッシュバックが止まらず、まな板にア゛ーーー!!と叫びながら頭を打ち付けてしまいたい衝動に駆られる。けど、実際はもちろんそんなことはせず、娘に呼ばれたりしてどうにか現実に引き戻されて、ご飯を作り、食べさせて、などとしてるうちに一日が終わる。娘を産んでから、自分の目を背けたい過去や性質に焦点を過剰に合わせてしまって鬱々とすることが増えた。シャワー浴びてる時に嫌なこと思い出して死にたくなる、っていうのあるでしょ?あれが一日中断続的に起こる感じ。しんどい。娘は大変ながらもどんどん成長して、できることが増えてきて、ますます可愛くなってきているんだから、そういう良いことだけを見て、今日も一日無事に元気に過ごせてよかったなあ、食べるものがあって寝るところがあって幸せだなあ、ってパタリと眠りにつきたい。どうしてそういう風に生きられないんだろう。

卒業アルバム

私の卒業アルバムは犯罪者の過去として晒されるのがふさわしいと思う。

ミュージシャンとか作家とかスポーツ選手とかが、学生時代はこんなんでしたよ、と卒業アルバムや文集を日の下に晒しているのがすごすぎる。見せるという行為自体がまずすごいし、内容もいい感じに尖ってたり毅然としてたりで、その健常感に圧倒される。

私はいつかインタビューを受けるような身分になってみたいと自己栄光化を長いこと夢見ていたけど、冷静に考えてみれば、そういう身分になるということは、自然と子供の頃はどうだったのかとフォーカスされるということでもあり、そんなのは絶対に無理すぎる。

私には語るべき幼少期も学生期も無い。情けなくて恥ずかしくて、できるなら全ての証拠を消し去りたい記憶しかない。

小学校の卒業文集は、誰にも推薦されなかったのに、勝手に声の大きさと図々しさで、すごく下手な絵でクラスの紹介絵を描いた。クラスメイト一人一人の特技や人物像を一コマにまとめるというやつで、私は私のことを「漫画が得意」と描いた。クラスにはもっと漫画が上手くて、アニメキャラを描いてと人集りができている女の子がいた。誰が見ても、あの子の方が絵が上手かった。私も本当はそんなこと分かっていた。私はあの子のことを「漫画が得意」と紹介すべきだったのに、いつも皆に人気な彼女に対抗意識を燃やして、絶対に負けたくないと意地を張り、子沢山な家庭環境を揶揄して「弟や妹の面倒をよく見る」などと描いた。なんて意地が悪いんだろう。あの卒業文集には、私の歪んだ認知と稚拙な画力で、本来の姿とは程遠いクラス紹介が載せられた。クラスの誰もが、あんなものを見ても何も思い出せないだろう。思い出されるとしたら、この絵を描いた女子は図々しくて認知の歪んだ嫌な奴だったな、ということだけだ。

中学の卒業文集は、私は3年の秋という奇妙な時期に転校したので、転校前と後の二つの学校の物を持っている。2年半を過ごした転校前のやつがとにかく最悪で、何が最悪かというと、自分の文章がキモい。「私は薔薇色の日々をこの中学で過ごして、宝物のような思い出は思い出しても尽きることはない。残念ながら転校することになってしまって、悲しみのあまり涙がとまらないけど、このかけがえのない日々を忘れることは一生無いと神様に誓える」みたいな、とにかく中身の無い誇張表現だけが延々と書かれてあるの。こんなに輝かしくて面白い青春を過ごした人間は世界中探しても自分しかいない、くらいのテンションで。馬鹿じゃないのって感じだよ。実際どうだったかというと、クラスの男子ほぼ全員から嫌われて、いじめに限りなく近いからかいを受けてた。北海道出身で太っているから「アイヌの白豚」というあだ名まで付けられて。人権意識のかけらも無いよね。思春期にそういう扱いを異性から受けていた人間がどうなったかというと、まあ現実を歪めて解釈するわけだよ。本当はこいつら私のこと好きでからかってくるんでしょ、こんなに倫理的にギリギリのラインでいじられてる私もいじれてる男子たちも面白い、めっちゃクールって。こんな奴らに囲まれて、勉強も頑張りつつ、部活も真剣にやれちゃう私、青春してる、って。嘘で塗り固めて空っぽの言葉を書き連ねることで、「自分はいじめられていた」という現実から全力で目を逸らしている。勉強頑張ってたのは本当だし、女子だけの部活では仲良くやれていたんだから、書くならそういう事実を淡々と書けばよかったのにね。認知の歪みが影を落としていて、恐ろしいね。

高校の卒業アルバムは、自分のにはそんなに問題は無い。かわりに、友達のアルバムに目を背けたくなるような物が残されている。卒業式が国立の前期の発表と同じ日で、私は偏差値的に無理のある第一志望の大学に奇跡的に合格したのを式の直後に知って、完全にテンションがおかしくなっていた。それまで滑り止めも含めて全部落ちてたので、ドン底からの有頂天で、本当に浮かれていた。その結果、私は「絶対に書いてはいけないこと」を友達のアルバムの寄せ書きに書いてしまう。

その子は、すごくピアノが上手で、私と彼女は二年生の時も同じクラスで、合唱祭では課題曲と自由曲でそれぞれ伴奏を担当していた。私と彼女、どちらがピアノが上手かったのか、それは今となっては知る由もないけど、多分少しだけ彼女の方が上手かったんじゃないかと思う。三年生になると自由曲だけでよくて、うちのクラスは「愛する者のために」という大曲を選んだんだけど、問題は誰が伴奏を担当するかということだった。クラスの雰囲気的には私と彼女で五分五分だったんじゃないかと思う。でも、私はプライドから絶対にピアノを彼女に譲りたくなくて、指揮者になった同じ部活の気心の知れた男子生徒を早い段階で自分側に取り込んで、まだ皆が合唱祭のことなんて大して考えていない頃から、彼と二人で譜面をチェックしたり練習計画を立てたりして既成事実を積み重ねることで、実質的なツートップ体制を作り上げた。そうすると、ある日、彼女が「もう伴奏はゆうきちゃんでいいよ」と私の目を見て言った。休み時間だったけど、教卓の前で、クラスのほとんどが目撃してたと思う。私はその時何と答えたかは覚えていない。ただ、「あっ、いいんだ」と思った。もうこれで揉めたり争ったりしなくていいんだと安心した。今思い出しても、この時の彼女は本当に潔くて格好いいと思う。それに比べて、裏工作に手を染めた私の汚さ。それでも彼女は一度たりとも私のことを悪く言ったりつらく当たることはなかった。ソプラノのパートリーダーを務め、明るい笑顔で皆をまとめ上げていた。私はといえば、少しでも音がずれたら誰であろうとヒステリックに指摘し、不安定な精神状態で突然練習から逃げ出し、教室で泣きながらも誰か迎えに来てくれるはずだとチラッチラッしたりしていた。合唱祭は、優勝できなくて三位に終わったけど、クラス全体が完全燃焼して頑張って、すごく良い演奏ができた。卒業式の後の最期のホームルームで、担任の先生が金八先生のように一人一人にメッセージを送って、彼女のことを「こんなに心を打たれるピアノは聞いたことがない。あなたのピアノが私は大好きだった。誇りを持って生きてください」と褒め称えていた。自然と拍手が湧き上がり、彼女の目には涙がにじんでいた。この状況、分かる?誰が勝者で、誰が敗者か。ちなみに、先生は私にはこう言いました。「見た目とは違って熱いものを秘めていて、とても驚きました」、以上。結構ヘビーだよね。でも私、その時はそこまで落ち込まなかったんだよね。あっ、結局先生的には彼女に肩入れしてたんだな〜と認識したくらいで。大学に受かって躁状態だったから。落ちてればよかったんだよ。これは本題ではないけど、この先の私の人生的にもさ。 ホームルームが終わって、クラスでわちゃわちゃしながら、アルバムを回して寄せ書きを書いてくフェーズに突入した。私は、彼女のアルバムにこう書いた。 「ピアノ、とっちゃってごめんね」 正確にはもっと前置きとかもあったと思う。まあ、とにかく最後にこう書いたわけだ。彼女、これ見て腹わたが煮えくりかえっただろうか。いや、静かに怒りに燃えただろう。それよりむしろ、あまりのことに心底私に失望しただろう。こんな無神経なこと、よくもまあ書いたもんだよね。こういうことを書けてしまう人間がいるんだ。それが私なんだ。これを書く時どういう気持ちだったか思い出してみる。まず、卒業ムードで全体的にエモかった。更に、合格を知って、テンションが異常に高かった。そしてホームルームで担任が私ではなく彼女のピアノを褒めたことで、卑屈な気持ちと申し訳なさが同時に湧き上がっていた。それらがないまぜになって、「ピアノ、とっちゃってごめんね」になった。って、なるか馬鹿。汚い小細工を弄して勝ち取ったなら、そういう言葉は墓場まで持ってくんだよ。そんな覚悟も無いくせに、最後に言い逃げするなんて、最低だ。そんなことしたって、その場でほんの少し気持ちが楽になっただけで、17年経った今も、私はこんなに後悔してる。それも口にするならまだしも、文字にして形に残しやがって。死ね。死んでしまえ。でも、私は今はどうしても死ねないから、せめてもう二度と彼女の前に姿を現わさないようにするのが精一杯だ。 陽子ちゃん、本当にごめん。 私の一言であなたの卒業アルバムを汚して、本当にごめん。 私はもう卒業アルバムを開かない。多分一生開かない。 私の卒業アルバムが白日に晒される日が来るとしたら、その時は私が人を殺したり、何かとてつもない犯罪を犯して捕まって、マスコミかツーチャンネルに流される時だ。そんな日が来ないことを願い、過去を恥じ、そして過去に怯えながら、私は生きていく。つらい。

衝撃を受けた曲

dragon ashの“let yourself go, let myself go”

m-floの“come again”

この二曲はほんとやばかったね

こんなかっこいい曲あるんだ?と厨房の心を撃ち抜いたもん

m-floが3人で活動再開と聞いてあの頃の衝撃を思い出した

そういえば中学生の頃ってめっちゃラジオ聞いてたな

今自分の中で第二次ラジオブームが来てる

娘に悪影響を与えないようにとテレビを控えたら、世の中と断絶されてる感がすごくて発狂しそうになって、radikoをインストールしたんだけど、こりゃいいね

毎日聞いてるよ

ニッポン放送ばかりだけど

この間なんかハッピーテレフォンにメール送っちゃった

普通に外れたけどね

産後一年が過ぎた

私はもともと反出生主義者で、子供を産まずに人生を終えるものだと思ってたけど、音楽活動へのモチベーションの消失、長年勤めていた職場とのゴタゴタ、患っていたチョコレート嚢腫が治ってピルを飲むのをやめたことなど、色々なことが重なって娘を授かった。どれか一つでも欠けていて、たとえばあと一年早かったりしたら、私は産むのを躊躇っていただろう。でも、33歳という年齢のこともあり、これを逃したら次は無いという気がして、産むことにした。

産後一年が経ち、娘が一歳になって思うことは、あの時授かることができてよかった、この子に会えてよかった、生まれてきてくれてありがとうに尽きる。ベタすぎるが。

若い頃やれ反出生主義だ独我論だとイキりちらしていたアーティストが、子供を産んだ途端、子供はいいぞなどと急に手のひらを返すように凡庸なことを言い出すのを見て、私は舌打ちし心の底から彼らを軽蔑したものだけど、やあ、私もそうなってしまったね。くだらないと笑ってください。

でも私は自分が子供を産んでよかったからと言って、人に勧めたりはしません。

矛盾してるのは百も承知だけど、私は今も反出生主義者だと思っている。有から無よりも、無から有の方がとりかえしがつかないから。だけど、昔と違うのは、絶対に何が何でも出生は悪と言い切る必要はないんじゃないかと思えるようになった。

トートロジーっぽくなるけれど、私は娘を産んだことで初めて「生まれてきてよかった」と思った。33年の人生で「生きててよかった」は何度かあったが、「生まれてきてよかった」は一度たりともなかった。どんなに嬉しいことがあろうが幸せを感じようが、先に立つ感情というか前提は常に「生まれてさえこなければ」だった。こんな反出生主義の私が、娘を産んだことによって「生まれてきてよかった」を知ることができた。主義と真逆のことを成し得てしまえることが人生の偉大さであるとはシオランの言葉だったかな。

かっこつけたことを言うのはここまでにして、私は自分が子供を産んでよかったからといって人には勧めない。

私がよかったのはあらゆる意味でたまたまだったと思うから。一番は、私の人生があの時ちょうど転機にさしかかっていたからであり、身もふたもない言い方をすれば私は“詰んでた”のだ。つまり、あれ以上あのまま突き進んで生き続けても良くはならないということが確定していた。だから、妊娠した時にこれまでの人生とは全く違う方向に舵を切る気になれたし、殆ど躊躇いもなかった。二番目は、私の妊娠出産が順調で、娘に何の病気や障害もなかったから。妊娠中から長期入院を強いられたり、流産や死産になってしまったり、生まれてきた赤ちゃんが重い病気になってそのままNICUに入院したり、先天性の障害を持っていたり。こういうことは誰の身にも起こり得ることで、今回私に起こらなかったのは本当にたまたまでしかなく、もし一つでもこういうことが私の身に降りかかっていたら、私は果たして「授かることができてよかった」と気楽に言えるだろうか。分からない。要するに、私は幸運にも色んなことがうまく噛み合ったから呑気に「子供を産んでよかった」などと言っているだけな気がしてしまうのだ。産んでもなお、これってリスクがとてつもなく大きい博打だよな、と思ってしまう自分がいる。だから、人には勧めない。

だけど、そんな私が私なりに、産んでよかったこと、悪かったことをまとめてみたら、もしかしたらこの産む・産まない問題で悩んでいる誰かの手助けになるかもしれないと思ったので、書いてみます。

子供を産んでよかったこと

1.子供が可愛い

まあ、当たり前ですよね。子供産んだ人ってみんなこう言う。くだらなすぎる。くだらなくていいです。だけど、本当に自分の子供って可愛い。大変だけど可愛い、ってみんな言うじゃん。私は前はあれ聞くたび「結局大変なんじゃん」って絶望してたけど、産んだ今思うことは、みんな大変なことを強調しすぎ。もっと後ろの可愛いを強調しろ。そっちが真実。

2.自意識に余計なリソースを割かなくなった

「私とは何か」「私は世界にとってどんな存在か」「私はどれだけ価値のある人間か」「私は他人からどのように見られているか」…こういうことを始終考えていて私私私でがんじがらめになっていた今までの私、子供産んだら憑き物が落ちたかのように自分がどうでもよくなった。や、よくはないけど、程度的にものすごくマシになった。自分のことばかり考えなくていいって、こんなに楽なのねと。今私人生で一番自意識が身軽。

子供を産んで悪かったこと

1.夫との仲が悪くなった

うちは夫婦仲めちゃめちゃ良かったし、結婚してから長かったから、産後クライシスなんか他人事って思ってたけど、見事に陥ってしまった。本当に嫌なタイプの喧嘩をするし、二人とも体力・精神力が子供持つ前と比べて明らかに余裕無いのですぐに激化してしまう。産前の激化までの時間が10だとしたら、今は1。とにかくこの産後クライシスが深刻すぎて、私はこれ以上夫と仲が悪くなりたくないので、正直子供は一人でいいと思っている。だから、子供は結婚の副産物で、とにかく配偶者のことを第一に考えたくて、夫婦が幸せであることが至上、と信じてやまない人は子供は持たない方がいいと思う。そういう幸せも絶対にある。(どんだけ深刻なんだよ)

2.日常的なストレス解消方法が基本的に食しか無い(完全母乳で育てても体重が戻らないし当分このまま)

子供産むと子供が生活の中心になるので、自分のタイミングで寝たり起きたりするのも無理(睡眠がストレス解消たりえない)だし、出掛ける場所も大きく制限されるから気軽な気分転換もできない。唯一自由になるのが食。食べることがストレス解消だし気分転換だしガス抜き。だから全然痩せず、体重は妊娠前+5キロのまま。母親も同じタイプだったので、よっぽど特殊な努力でもしないかぎり向こう10年はこのままだと思う。でも、よかったこと2に書いた通り、人からどう見られるかを気にしなくなっているので自意識的な後ろめたさや恥ずかしさはあまり無い。あとは夫がそんな妻をどう思うかということのみ…。

思いついたらまた書きます